鏡徳寺について

鏡徳寺の歴史

鏡徳寺(きょうとくじ)は、後柏原天皇5年、永正元年(1504)2月18日、大雄院(だいおういん)5世貴田周裔禅師(きでんしゅうえいぜんじ)により曹洞宗寺院として開創されました。(一説には永正5年との記述あり)

山号は、江戸時代中期までは「普門山(ふもんざん)」、その後「寿楽田山(じゅらたさん)」に改称。

寺紋は左二つ巴。開基は不詳ですが、同じ家紋を持つ「小野嵜(おのざき)」家とする説もあります。

開創当初のご本尊様は、伝承によると正観世音菩薩立像(しょうかんぜおんぼさつりゅうぞう)。その後(不詳)、薬師瑠璃光如来立像(やくしるりこうにょらいりゅうぞう)をお迎えし、長くご本尊様としてお祀りしました。

令和3年11月27日釈尊のご遺骨である真正御仏舎利(しんせいおぶっしゃり)を封入した釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)をお迎えし、現在ご本尊さまとしてお祀りしています。

祈り/教えについて

鏡徳寺は「曹洞宗」(そうとうしゅう)のお寺です。今から八百年ほど前の鎌倉時代、道元禅師(どうげんぜんじ)が正伝の仏法を中国から日本に伝えられ、瑩山禅師がその教えをどんな人にも理解し実践できるように整え、また優秀な弟子育成し全国に教えを広める礎を築かれました。

大本山永平寺を開かれた道元禅師を「高祖」、大本山總持寺を開かれた瑩山禅師を「太祖」と申し上げます。このお二方を両祖(りょうそ)と呼称し、ご本尊のお釈迦さま「釈迦牟尼仏」(しゃかむにぶつ)とともに一仏両祖(いちぶつりょうそ)として仰ぎます。

曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師(そし)方によって代々相続されてきた「正伝(しょうでん)の仏法(ぶっぽう)」を依りどころとする宗派です。それは坐禅の境涯を中心とした生活です。

坐禅の実践によって、身も心も自分のすべての作為的な計らいを手放した時に感得できるやすらぎが、そのまま「仏の姿」、「真実の自己」であると気付くこと、 坐禅の実践に順じた日常生活をして、お互いに安らかでおだやかな日々を送ることで、人間として生まれてきたこの世に価値や充足感を見いだしていこうというものです。

私たちが人間として生を得るということは、お釈迦さまと同じ心、「仏心(ぶっしん)」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師はおっしゃっておられます。「仏心」には、自分のいのちを大切にするだけでなく他の人びと、動植物たち、物のいのちも大切にする、思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。

お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を実践し、毎日の生活の中の行い一つひとつを大切にすることを心がけたならば、身・息・心が調えられ私たちのなかにある「仏の姿」が明らかとなります。日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。